就職地獄頭に来ませんか?政策が悪いと思いませんか?
20年前のことを聞くと、青田買いがすごく、中堅会社などは大手に取られる前に学生を温泉に招待したり、あれこれ人材確保に頭を痛めていました。

また、東大などを筆頭とした有名大学の学生は採用枠も別で企業の至れり尽くせりの接待を受けていました。

映画「バブルでGO!」のように万札が銀座、六本木では宙に待っていました。
映画で1万円札でタクシーを止めているシーンがありますが、当時は普通だったらしいです。
広末が1日で200万以上も偶然に手にしますが、当時は本当に地上げ、株高で金が余っており、10万くらいの金はすぐに入る金額でした。

今の学生さんはすごく可哀相だと思います。
政府が悪いと思いませんか?
一番かわいそうだったのは10年前の学生だから。
たいした知識もないのに知ったかぶるな。
氷河期と呼ばれた、バブル崩壊直後でも求人は1倍以上。
去年も今年も求人は1.2倍くらいある。
中小企業なら普通に就職できるから。

10年前、2000年の求人は0.99倍。超氷河期と呼ばれた時代。
0.99倍って100人に1人が、ブラック企業や小企業にも雇われない時代。
そして派遣社員とかもあまりなかった時代。
うつ病の支援はありますか?長文・乱文で失礼します。
30代前半で正社員として働いている男性で、うつ病を患っていて通院しています。家は実家に住んでいます。うつ病は中学生の時からずっとで、一時入院していましたが改善したため退院し、その後は何とか生活できていました。けれど7年ほど前から通院をやめてしまい、そこから徐々に悪化してここ2年では仕事もできず借金をして生活していました。人づてで雇ってもらった会社でも最初は何とか働いていましたが、病気の為引きこもりになったりでほとんど出社できず。それでも会社は色々と策を練ってくれて傷病手当を申請することになったそうです。そのために半年ほど前から通院を再開し、薬のおかげで何とか仕事に行っている状況です。けれど何だかんだで傷病手当の支給が遅れているようで、申請してから3カ月近く経っています。その間は収入は月に5万円程だそうです。どう換算してその額になっているのかは分かりません。固定給は15万だそうです。病院に通い始めてからは一日も休んでいなくて、休みもほとんど取れないほどの忙しさだそうです。

かなり強い薬を処方されているようで、夜になると会話が成り立たないくらい意識朦朧の状態になります。このままだととても心配なのですが、本人は仕事をやらなくては、と治療より仕事に気が行っているようです。家族の支援はなく、むしろ親に支援しなければならない状況で、そのことでも追い詰められていると思います。家族はうつ病の理解がなく、未だに『怠け病』と思っているようです。

この状況で何か受けられる公的援助はないでしょうか?なんとか通院を続けさせて、病気を落ち着かせて、仕事にバリバリ打ち込める状況にもっていけたらいいのに、と思います。私は嫁に行った妹で、親とは溝が出来てしまい口出しはできない状況です。なので兄とも疎遠になっていましたが、病気の悪化に伴い私を頼ってきました。私も義理の両親に援助してもらって何とか生活している状況ですが、兄の為にせめて病院代くらいは何とかしてあげたいと思っています。でも病院代だけでは兄が病気を落ち着かせる環境を作れないと思います。出来る限りストレスを排除して通院と仕事に集中できる環境を作るために、何か利用できる国の支援はないのかな、と探しています。また妹としてできること、してあげた方がよいことって何でしょうか?家族の中で唯一、価値観が近くて仲の良い兄なので、何とか手助けがしたいのですが…。
活躍していない素人ですみません。

『自立支援医療』
医院や薬局に支払う額が1割になります。

『障害年金』
国民障害年金は1~2級、厚生障害年金は1~3級の方が自給されます。

『高額医療費制度』
高額な医療費の場合、上限以上は戻る制度です。

『復職支援制度』
ハローワークが復職支援メニューを提供しています。復職前や復職後も会社とご本人との間に入り、復職がスムーズにいくように支援してくださいます。

『傷病手当』は、給与の約3分の2が支給されるはずですが、社会保険代金が引かれると思います。15万円の月給で支給が5万円は少ないですから、もしかしたらその5万円は傷病手当ではなく、傷病手当が会社に届くまでの間の会社からの支援金かもしれません。
会社に確かめられてはいかがでしょうか?

詳しくは、社会保険庁の『社会保険制度』のホームページが便利です。

役所の福祉課や保健所や地域包括センターの方に尋ねても良いと思います。

ご家族で悩みを抱えているよりも、オープーンに他にご相談がいい結果になると思います。

お疲れ様です。
アドバイスお願いします。

就職活動中、29歳女てす。

昨年10月に仕事退職後、様々に受けましたが上手く仕事が決まりません。

2、3社ほど、内定を頂いた所がありますが、条件などにより
お断りしてしました。


入院事務で3年、調剤薬局で2年勤務実践があります。

やや務めた所、内定を頂いた所もあるのですが、条件等で断ったり辞めたりしています。

自分なりに当初の希望より下げ、お断りした所もつとめとけば良かったと思うところもあります。

1ヶ月前まで正社員前提のパートでヶ月、調剤薬局で勤務していましたが、当初の条件ではなく社会保険等なしのフルタイムパートで今後め働いてもらうというかんじで辞めました。

その前も求職活動はしていました。初めはクリニックや病院も受けましたが途中から調剤薬局にしぼりハローワークで求職活動していました。



今はハローワークより、ネットの求職活動を中心に求職活動しています。

求職活動していた友人たちがみんなハローワークは嘘を書いたり履歴書すら返してくれないからネットがよいと言い私もネットは倍率は高いけれど初期段階で履歴書を郵送しなくてもメールですむなどメリットがあると思いです。



今はクリニックなど医療事務の範囲を決めず求職活動しています。


ですがもう年末ですし、年が開けるまでには何らかで落ちつきたいです。

なので12月中頃を目処に派遣(医療事務)にするか、保険等ありのフルタイムパート(医療事務)かまったく別の業種で派遣かパート(事務関係を考えています)でとりあえずは考えています。

皆様は私のような状況の場合どうされますか?

違う業種での派遣かパートの場合は資格か正社員かをさがすつもりです。

また一般事務の派遣の場合で良ければオススメの派遣先を教えて頂ければと思います。


よろしくお願いします。
条件を明確にしての就職活動で、しかしなかなかその条件に沿える就職先が見つからないことで焦りが生じ、その時点から考え方を柔軟にしていく場合にこそ、やってならないのが「それまでの作戦への後悔」です。

実りはしなかった作戦であって、しかもせっかくの採用話を自ら辞退しまくったとしても、それが質問者さんの基準であって妥協できなかったのなら、その時点では「たとえ勤めていても長続きはできなかった」と思うしかないんです。

就職は結婚と同じで結果ではなく、円満に長続きできてこそが結果でなくてはならないです。なので、方針を変えていくうえでも、それまでの基準はなお絶対視して後悔の材料にしてしまってはいけないです。

ただし、反省は後悔と別物ですから、以前の自分自身に後悔でなく反省の材料があると思えるなら、それを是正していくことこそが作戦変更への軸になる、という考え方です。

以上をもとにすれば、「これまでの自分自身なら妥協はできず、仮に勤めたとしても長続きはできなかったかもしれないが、さすがに世の中の事情が自分に味方してくれない限りは、今後は妥協できるべくを妥協して長続きをめざす」考え方に至ると思います。

そうやって自分自身の許容範囲を拡大して、そこから新たな方針と基準で臨む就活においては、そこでまた予想だにしなかった嬉しいサプライズが待ち受けているかも、ですよ…

…気分一新でファイト★
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